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判断の主体を奪う人々 ~自己決定力へ

 先週末、大阪で講演を行った。
 教育委員会、PTA、教職員が三位一体になった団体からのお招きだった。

 こういう反目しがちな立場の大人が「地域の子育て」に一丸となって取り組もうという姿勢は、買いだ。

 しかも、いまどきの子どもたちの現実を寸劇で見せているユニークな取り組みも、忙しい大人たちにとって、子どもの当事者性に迫る試みとしては、とても興味深いアプローチにようにも感じた。

 でも、実際に寸劇を見てみると、「うん?」と首をひねりたくなるシーンもあった。

 たとえば、「ケータイ依存」という寸劇では、何時間も友達と電話してるギャル娘(大人が演じる)がオカンから注意されたら深夜までしゃべり、オカンが寝静まったら夜な夜な徘徊し、気がつけば派手なカッコになってるという「非行のプロセス」を見せている。

 日常にひそむ「問題」がここにありますよ、と言いたいのだろう。
 しかし、それはケータイという新しいメディアのせいなのか?
 そもそも、家に一つの電話しかなかった時代でも、親のいない時間帯に連絡をとりあう思春期を過ごしてきたのではなかったか?

 いつの時代でも、子どもにとって親に言えないことはあるし、家では話しにくいことだってある。

 そうした子どもの視線を無視する形で、いきなりケータイによる長電話と夜間外出を「問題」にしてしまうところには、あらかじめ親や教師という教育者が(教育されるべき)子どもに対して善悪を判断してやればいいのだ、という傲慢さが垣間見えた。

 多くの子どもは、善悪の判断くらいできる。
 長電話も夜間の無断外出も、それが決して良いことだとは思っていないし、親を心配させたり、それによって説教を食らうのも良いことだとは感じていない。

 それでも、そんな「良くないこと」をしないではいられないのは、それなりに理由があるだろう。

 そこに踏み込まず、「これは悪いことです。こんなことを続けたら派手なカッコの非行に走ります」と伝えて、大人どうしで納得しあっても、当事者である子どもには何ら響かないだろう。

 それとも、芝居をする側の大人が、それを見る側の大人に対して教育が必要だというのだろうか?

 僕の中には、「?」マークがいっぱい生まれた。

 それは、抵抗感ともいえるし、「行政と民間と教職現場が三位一体になっても地方の子育てにおけるコンセンサスのありようはまだこの程度にすぎないのかもしれない」という虚無感かもしれない。

 だから、この集まりの最後の演目である僕の講演では、判断の主体性を子どもから奪わないようにしようよ、という話をした。

 たとえば、リストカットをしている少女がいる。
 親は心配し、「切るな」といきなり言いがちになるし、精神科医は「病気です」といきなり薬を出したりする。

 しかし、「リストカットは悪い」と十分に理解しているのは親とか医者とか周囲のだれかではなく、当事者である子ども自身であることに、まず周囲の人間が気づくことが大事だろう。

 気付けば、わざわざ「切ってはいけません」とか「切らないで」というセリフを言う必要はなく、「自分を傷つけることはいけない」なんていう、誰もが否定出来ないような正論を振りかざして子どもを追い詰めることもなくなる。

 「切らない」という正論に導くためなら、むしろその子があらかじめ明るい気持ちになれる趣味の話にじっくり付き合い、関心を持ってあげることが、切る行為を忘れさせることになる。

 でも、「切らないで」とか「この薬を飲んで」とか言う人は、自分自身の役割を果たすことにしか関心がなく、目の前の人間が本当は何に興味をもっているのか、何によってワクワク生きられるのかについて関心を持たないし、その子自身にとって関心のあることにすら興味を持たない。

 相手がすごく関心を持っていること。
 その話にこそ、食い付くべきだと僕は思う。

 そこに関心を持たないで、「この子はいつまで私を心配させるのかしら」という自分自身の不安の解消にしか関心を持てない人は、結局はその子の当事者性に配慮していないのと同じなのだ。

 実際、このように、相手が持つ事情に踏み込み、理解しようという構えが話を聞く側に足りないと、ともすれば、自分の興味あることしか聞かないことになる。

 だからこそ、相手の苦悩は延々と続き、「問題」はエスカレートし、話を聞いたつもりになっている人をさらに悩ませ続けることになるのだ。

 こういうことが起こるのは、大人の側に人の話を聞くだけの時間的な余裕や、何時間も相手する体力がないから。
 しかし、そういう自分自身の問題に思い当たらない人が多いので、子どもはいつの時代も「大人はわかってくれない」と感じるものなのだ。

 もっとも、精神科医や教職員というのは、医学や教育界の内側の論理しか知らない。

 リストカットなんて、神奈川の某有名私立高では、生徒の半分程度が経験しているくらいポピュラーなものだから、その行為を見つけただけで精神病を疑うなんて、あまりにも世間知らずなのだが、精神病理と社会病理の違いを十分に理解している医者は今日ではほとんどいないし、自分の財布を肥やしてくれる患者をみすみす逃す人もいないので、とりあえず全員患者にしてしまう医者の問題が少しずつメディアに取り上げられるようになっている。

 簡単に言えば、医者は医療オタク、教職員は教育オタクになっているのだ。
 その世界しか知らない人は、本当に困る。
 なぜなら、専門知識で救えるほど、現代の人間は単純にはできていないからだ。

 自殺防止の問題にしても、精神科医にばかり金をばらまいたところで自殺者数は減らないだろうし、学者ばかり集まったところで学問オタクのアプローチしか持ち得ないだろう。

 こうしてみると、判断の主体として自立する(=誰かに自分が判断されていることに敏感になる)には、自分が何かを語ろうとする際に、その話題について「自分はその当事者なのか?」と自問することが避けられないことがわかる。

 自分のすることくらい、自分で決める。
 自分がしていることの善悪は、まず自分で判断する。
 そういう自己決定力を養わないと、誰かが自分の言動に対して行う判断に対して自意識的に悩むようなことにとらわれてしまうだろう。

 他人はどう思うだろうか?
 もちろん、それは大事だ。

 でも、もっと大事なのは、「自分は自分の言動に対してどの程度本気で言っているのか」と自問し、自分の言動を誇りあるものに育てていくことだろう。

 誰かに判断の主体を奪われたままでは、気がつけば、世間を味方にするような言動しかできない人間にしかなれない。

 でも、世間が君の人生の選択の結果に責任を持ってくれるか?
 ありえない!!!

 みんなにとっての「良い子」であり続ければ、自分自身にとって「よくわからない子」になってしまうはずだ。

 そんな生き方してて、面白いか?
 面白いなら、どうぞ。
 僕はとめない。

 今日の日本、学校や社会は、「よくわからない子」を量産しておいて、大人になる頃には「境界性人格障害」なんていうレッテルを貼って「問題」にしてしまtっているけれど、教育者や医者には加害者意識なんかないだろう。

 だって、「よくわからない子」という育ちをしてきた人が大人になったんだから。

 目の前に暴行やひどいいじめがあったら、殴り合いをしても、周囲に嫌われても、目の前で止める。
 そういう勇気を問われるシーンは、思春期にいっぱいあったはずだ。

 しかし、僕が中学生になる頃に校内暴力が全国に蔓延し、学校は警察を校内に入れた。

 子どもがそこで学ぶ機会を奪い、品行方正な「良い子」でなければ許容しない無菌室のような教室になってしまった。

 当然、いじめはアングラ化し、教師や親の見えないところでしかできなくなった。
 ネットはその一つにすぎないし、そもそもネット社会は大人の経済社会が用意したものだ。

 僕ら大人は、「良い子」でなくても許容する文脈と施策、インフラや文化を担う必要があると思う。

 僕はそういう構えで本を作ってきた自負があるけど、まだまだ仕事が残っている気がする。

 いつか、学校の副教材になるような教科書を作ろうかと思ってる。
 学校の社会の教科書よりも、もっと面白く役立ち、自分が学ぶ意味が納得できる教科書を作ってみたい。

 当事者の生徒たちが、学校で指定されたものよりも、僕の教科書を支持する時代が来るかどうかはわからない。

 でも、図書館で代々読み継がれるものは作ってみたいと思うのだ。
 彼らが成長し、大人になる頃に、今よりはマシな社会になるように、その種を植えてみたいと思う。

 なぜなら、そういう教科書を僕自身が読みたかったし、若者取材を10年以上も続けて、多くの10代から求められる内容がわかっているからだ。

 まぁ、いつ出来上がるかは、お約束できないのだが。

 


 
 


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コメント

きもちわるい
【2007/09/07 00:29】 URL | 名無しさん #-[ 編集]

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今一生 con isshow

Author:今一生 con isshow
 ライター・編集者。
 '97年「Create Media」名義で編集した『日本一醜い親への手紙』がベストセラーに。
 '99年に発表した『完全家出マニュアル』で造語した「プチ家出」が流行。
 著書に『ゲストハウスに住もう!』(晶文社)、『下流上等』(学事出版)、『「死ぬ自由」という名の救い』(河出書房新社)など多数。
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