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ひきこもり支援とは自ら「先ゆく仲間」になること

 昨日は、東大自主ゼミだった。
 ゲスト講師には、「こわれものの祭典」代表の月乃光司さんと、5年間のひきこもり生活から脱出して上京して1か月の市野善也さんを招いた。

 ゼミ終了後、僕には心の残尿感のような感じが残った。
 なんというか、モヤモヤした感じだ。

 たぶん、市野さんが言った一言が引っ掛かっているのだと思う。

「ひきこもりは誰も悪くない。誰にも責任がない。
 そう思ったほうが楽になれる」

 彼は、そう言った。
 そうだろうか?

 市野さんの表情には「楽になった」印象が感じられなかった。
 しかも、彼が上京1か月で辞めた新聞配達の日々を綴ったmixi日記では、「自爆テロのことばかり考えていた」ともあった。

 月乃光司さんは自助グループに初めて行った際に、そこにいるおじさんたちが、とんでもなくその人自身の恥ずかしい話をしゃべるので、自分の話が言いやすかったと言った。

 僕のゼミでは当事者性を大事にしているので、「当事者がそういうのであれば、そうかもしれない」という構えで、あくまでも当事者の立場に立った理解をしようと努めるようにしている。

 その点で、月乃さんの体験は素直にうなづけるものを持っている。
 しかし、市野さんの言葉には、どこか自身の体験を他人事にしているような構えを感じざるを得なかった。

 ちなみに、僕自身はひきこもりをするという行為そのものは否定しないし、そういう時期が誰にでもあると思う。

 しかし、自分がそういう行為を求めていると自覚してひきこもるのと、自分で求めてそうしていることを自覚しないのとでは、大きく意味が違うように思う。

 自分の意思を自覚しているのであれば、自分の代わりに親が嫌な労働をしてくれた金で食わしてもらっているという負い目を感じるだろうが、自分の意思を自覚していなければ、自分の引きこもり生活が親に負担を強いていることに思い当たらないだろう。

 総論でいえば、ひきこもりは本人に責任や問題はほとんどないと言っていい。
 なぜなら、子どもに飯を与えられる程度の資産がある親のいる家庭でしか、ひきこもりは出来ないからだ。

 つまり、親が「出ていけ」といえば、ひきこもることができなくなるのだから、わが子のひきこもり生活を苦々しく思ったならば、その時点で家の外に追い出せばいいだけの話だ。

 言いかえるなら、「ひきこもる・ひきこもらない」という選択の自由はそもそも子どもにはなく、本来はその自由が「稼ぐ技術」の習得によって得られることを誰にも教えてもらえないまま、死にたくなるほどの「ペットの自由」を満喫させるのが、ひきこもりというものの正体なのだ。

 しかし、わが子が自分で飯を食うだけの技術を親として十分に身につけさせたという自信のない親は、「追い出しても食えないからホームレスか犯罪者になるか、自殺するんじゃないか」という不安を家庭内に押し込めて、家の外には「恥ずかしくて」相談もせず、何年も経つ頃には嫌な現実を見たくないばかりに放置を決め込んでしまう。

 そうなると、子どものほうは、それまで親の金という鎖につながれたペットよろしく、鎖をほどかれることを恐れてしまう。
 腐りをほどかれて「お前は自由だ」と言われても、自分で飯を調達できるだけの「稼ぐ技術」がないのだから、とまどうしかないからだ。

 こうしてみると、ひきこもりは、共依存(イネイブリング)の親がいなければ、成り立たない行為だってことがわかると思う。

 共依存というのは、自分の虚しさやさみしさ、無力感などを払拭するために自分より弱い存在を見つけては「私がいなきゃダメでしょ」と思わせて依存させることでコントロールし、延々と相手を弱者のままにすることで自分自身の存在価値と強者の立場を守って安心しようとする倒錯した支配欲求のこと。

 この共依存の親の下で子どもは、あたかも自分が自分の意志で引きこもっているように思わされてしまう。

 本当に自分の意志で引きこもっているのであれば、自分の意志で引きこもりを辞めることもできるはずなのだが、共依存の関係を続けていると、この共依存という心性は感染してしまうのだ。

 感染すれば、あたかも鎖で繋がれたペットよろしく自分の意志や自由は奪われ、「どうせ俺は親元でしか暮らせない。家の外はきっと怖いのだ」と無根拠に信じてしまうし、それを裏付けるような失敗体験をすることでますます共依存の度合いを深めていく。

 すると無力感が増し、うつ病にもなるだろう。
 でも、親は気付かない。

 市野さんが上京後も「自爆テロのことばかり考えていた」のも、きっと家の外でどう立ち振る舞えばお金に結び付くのかを親に教えられてこなかったからだろうし、彼の親も「親の仕事は親がいなくても生きていけるだけの稼ぐ力をつけさせること」だと思い当らなかったか、あるいはそういう自立する力がそもそも無い親だったのかもしれない。

 ゼミ生に「市野さんは今週いっぱいで新聞配達所の寮を出ていかなきゃいけない。今後どうすればいいと思う?」と尋ね、知恵を乞うた。

「ゲストハウスはどう?」
「貯金は?」
「友達の家に居候させてもらったら?」

 ゼミ生たちは、順当な質問を市野さんに問いかけた。

 もちろん、市野さんはゲストハウスを探していたし、貯金は親から借りた20万円が残っていると言った。
 月乃さんは「一度、名古屋に戻って仕切り直せば?」と言った。
 
 いろんな選択肢はあるだろう。
 しかし、すべては市野さん自身が決めるのだ。

 僕は、「ひきこもり支援をしたい」という市野さんの言葉に、生活実感があまり感じられないのが気になった。

 20万円しかないのであれば、今すぐにでも時給単価の高い仕事を探さないと、1か月後には完全に干上がってしまうだろう。
 考えるより、フロムエーでも買って探し、アポをとり、面接を受けまくる以外にないではないか。

 そこで親からの借金に頼ってしまったら、きっと彼は友達のありがたみに気付けないかもしれない。

 持つべきものは、友である。
 家の外では、みんな助け合って生きている。
 彼が学ぶべきは、そこだろう。

 ゲスト講師には毎回、自分の人生年譜を書いてメールで僕に送ってもらうことになっている。

 しかし、市野さんは「ネット環境がない」というので、「近所のマンガ喫茶で書いたら?」と言ったのだけど、「ない」というので、彼と僕の共通の友人である山本さん(NPOコトバノアトリエ代表理事)にパソコンを貸してもらえば、とも言った。

 結局、市野さんは山本さんに電話することもなく、「パソコンを貸してもらえる当てがない」と僕に電話してきたので、千葉の田舎にある僕の家まで来てくてもらい、書いてもらったのだけど、僕は「うーむ」とうなってしまった。

 市野さんが頼めば、パソコンくらい誰でも貸してくれただろうと思うのだけど、どうも「こっちへおいで」と誘わない限り、自分からは頼まない感じがあるのだ。

 彼は、その受け身の姿勢のままで自分のやりたい仕事につけるだろうか?

 自分のやりたいことを実現するために、人に相談することさえもできないのが、ひきこもりを経験した後遺症のようなものなんだろうか?

 共依存の恐ろしさが、そこにはあるように見えた。

 ひきこもりという長い奴隷生活の中で、「助けてほしい」と自分の意志を表明しても、どうせ応じてもらえないという刷り込みが彼にはあるのだろう。
 だから、自分の意志を表明すること自体をあきらめる条件反射が身についてしまったように見受けられた。

 彼のせいではないのに、家の外では自己責任が問われてしまうのだから、生きずらいだろうし、とまどうのも仕方がないだろう。

 ただ、親からのコントロールから自力で脱出したいのであれば、親からの借金を増やさず、友達からの優しい視線に気づくことだろう。

 自分のしたいことを望めば、そして、それが本気なら、みんな親身になって一緒に考えてくれるものだ。
 そのような付き合いを市野さんは経験してこなかったのだろう。

 では、押しかけ女房のように、彼の煮え切らない気持ちを先回りしてお膳立てすればいいかといえば、それも違うだろう。

 市野さんがしたいことは、ひきこもりへの支援だそうだ。
 それは、何度も彼自身の口から出てきた言葉だ。
 だが、支援されるべきは、他の誰でもなく、明らかに彼自身だろう。

 市野さんはまず自分自身の生活を自分の手で成り立たせることを支援する、つまり自立するという試みから逃げないことが、月乃さんのような「先ゆく仲間」になることだろう、と僕は思った。

 ひきこもりを支援したいのであれば、ひきこもりから自立し、「僕のようになれます」という姿を見せることではないか、と。

 つまり、自分自身の問題に取り組むことが、他のひきこもり当事者に勇気を与えることであり、得体の知れない「社会問題」を可視化して解決する方法なのだ。

 そして、自分自身の問題に取り組もうとするとき、彼は友達とその切実さを共有でき、友達からの支援を取り付けることができるように思う。
 だから、僕はゼミで言った。

「市野さんが本気で『僕は東京に残りたいんだ』という気持ちを示してくれたら、僕はしばらく家に置いてもいいと思うよ」

 ゼミ終了後、喫茶店に入ると、市野さんの持参した彼の著作を買い求めるゼミ生が続出した。
 「手売りじゃもったいない」という意見も聞かれた。

 少なくともゼミ生は市野さんの本に価値を感じているから、お金を出したのだろうし、ゼミ生はmixi内のゼミのコミュの住人だから、市野さんが声をかければ、出来る範囲の支援は惜しまないだろう。

 それだけを見ても、市野さんは孤軍奮闘を余儀なくされているわけではなく、支援されていることがわかる。
 その客観的な事実についてどう感じるのかは、市野さんに突き付けられている問題かもしれない。

 いずれにせよ、今週末、彼は自分の処遇を決めることになる。
 ひきこもりからの脱出は、始まったばかりなのだ。

 自費出版とはいえ、市野さんには本を1冊書いた経験があるので、ひきこもりについて取材して雑誌に記事を発表して金を得ることもできるだろうし、自費出版した本を再編集して商業出版社から新たに刊行してい印税を得ることもできるだろう。

 「ふつうの人」は、まるごと1冊のボリュームの原稿なんか書けない。
 それを無理せず書いて、出版社に売り込んだだけでも、市野さんには書く仕事で食っていける資格があるのだ。

 しかも、5年でひきこもり生活から離脱できたとすれば、その経験について「講演依頼.com」などのサイトに登録し、1回20万円程度に設定していけば、3割ピンハネされても1日で14万円程度の収入になる。

 あるいは、ひきこもりを特集したことのある雑誌に売り込みに行ったり、月乃さんのように地元の新聞での連載を売り込むことも収入源を増やすヒントになるだろう。

 市野さんは「ひきこもり期間は何にもやっていない」と自分史に書いたけど、「ひきこもり」という一般人にはなしえない特別かつ固有の価値のある経験をしていたわけだ。

 それが売り物になることを、ぜひ「先ゆく仲間」である月乃さんから学んでほしいと思った。

 ちなみに、月乃さんの朗読する詩は素晴らしく、音源化されたCDの出来も素晴らしいので、メジャーレコード会社に僕が代行して売り込むことも、ゼミの前に月乃さんと約束した。

「フジロックに出たいですね」

 そう言った月乃さんの夢を一緒に叶えたいと思う。
 人生はダメモトだ。
 やりたいことを表明すれば、「それいいね!」と言ってくれる友達が必ず出てくる。
 だめもとで言い続けておけば、道は開ける。

 市野さんの場合、ひきこもり経験を武器に有名人との対談集だって企画できるだろうし、元ひきこもりの経験者で集まって知恵を出し合えば、ひきこもっている当事者向けのサービスを事業化するとも可能かもしれない。

 こういう知恵も、自営業者であれば、少なからず持っている。
 だからこそ、友達は大事なのだ。

 資本主義とは、「求めよ、さらば与えられん」という社会だ。
 自分が本気で求めれば、それは得られる。
 自分が求めないままなら、欲しいものは得られない。
 市野さんには、そういう「家の外」の原則やルールを知ってほしい。

 自由主義社会では、自分が欲しいものを得る方法そのものも自由に選べるということなのだから、勘違いの自爆テロなんか考えている場合ではないのだよ。

 味方はいっぱいいる。
 ぜひ、それに気づいてほしいと思う。
 市野さんは、決して孤独ではない。


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コメント

 「他人に助けを求めても」
 このときの「他人」を「みんな」とか「全員」だと思ってしまうと、まずいですよね。

 自分にとってはなしやすい人を日常的に増やしておけるように動くことが大事な気がします。
 信頼できそうな人とはメール交換してなじみになっておくとか、イベントに足を運んで友好関係を作れる相手を増やしておくとか。

 支援する側にとって重荷と感じるのは、「なぜ自分だけに頼ってくるんだ?」という点なのです。
 あなたが頼れる相手を増やしていけば、1人に集中してものを頼むことがなくなり、相手の負担を減らします。

 そして、小さな負担ならいくらでも頼まれたいという人は、いっぱいいるわけです。
 だからこそ、ふだんから交友関係を増やすために、話しかけた相手には話し、メールを送りたい人には送るという小さな習慣を身につけることが大事になってくるように思うんですよ。

 そういう試行錯誤を重ねていくことが孤独に陥らずに済む処方箋であり、世の中で生きやすくなる知恵なんです。
 あなたも、きっと孤独ではないはずです。
【2007/07/05 14:55】 URL | con #-[ 編集]
 何かをするのに、誰かに助けを求められずに、結局何もしないという部分は、自分にも思い当たり過ぎて、身につまされます。私も仕事上で、誰かに何かを頼むのがとても苦手です。「助けを求めてもウザがられる」と思っているから。

 私も親から「お前は何もできない」と言われてきたので、何もできないと思い込んで生きてきました。おかげで今でも親元でフリーター暮らしです。それでも親になるべく借りを作らないように、貯金をしています。

 共依存から逃げるためには、他人に助けを求めることを含めて、少しでも自分でできることを作るしかないんでしょうね。
 
【2007/07/05 14:26】 URL | レザボア・ドッグ改め、まこと(仮名) #-[ 編集]

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Author:今一生 con isshow
 ライター・編集者。
 '97年「Create Media」名義で編集した『日本一醜い親への手紙』がベストセラーに。
 '99年に発表した『完全家出マニュアル』で造語した「プチ家出」が流行。
 著書に『ゲストハウスに住もう!』(晶文社)、『下流上等』(学事出版)、『「死ぬ自由」という名の救い』(河出書房新社)など多数。
◎公式サイト
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