しかし、それができるなら、とっくにやっているだろう。
それができないから仕事に就けずにいるのだと、40代前半の僕は考える。
なぜ、できないのか。
一つには、職業技術のない彼らを拒む企業の論理があり、大企業の9割は「フリーターを正社員にしたくない」と答えているほど、雇用が狭き門になっている時代状況があるからだ。
一方、当事者である1970年代以後に生まれた世代の内面の問題もある。
彼らの世代にとって、自分らしさにこだわることこそが自分が自分であることの証であり、自尊心だからだ。
自分らしくいられない会社で、意味もなく汗を流す理不尽さに耐えようと思えば、精神的におかしくなってしまう。
それを「怖い」と感じるのは、きわめて健康なことだと思う。
しかし、40代後半以上には、そうした若者の内面の切実さに関心を持つ作法そのものがない。
50代になれば顕著だが、ニートやひきこもりの子どもを持つ親たちの世代にとっての愛とは「世間並に心配すること」だ。
50代の親にとっての関心事は、わが子が世間並の年収を得ているかどうかだけという1点に尽きるし、わが子が何を生き甲斐やときめきの対象にしているかについては、ほとんど関心を持っていないといっていい。
いや、もっとハッキリ言うなら、彼らの世代の人間は、自分とは違う時代状況や境遇の人間について関心を持って接するという愛し方を知らないし、学んでいない。
そういう意味では、彼らにとって「愛」は贅沢品なのだ。
しかし、現在、20~30代のニートやひきこもり、フリーターといった「自分探し」のモラトリアム(猶予期間)を生きている若者にとって、自分の関心事に対してなんら関心を抱いてくれない親は「自分を愛してくれない人間」に映る。
本当は、親は8ビットパソコンのようなものであり、「愛」というスペックもそれを実現させるOSも積んでいない旧式の存在にすぎない。
そうとわかれば、親から愛されることなんて早々にあきらめて、親の保護の下(実家)で暮らす人生から抜け出し、一人暮らしを目指すのが、親子間の内戦を避ける知恵だ。
逆に言えば、愛を知らない親に対して「愛されたい」と望んだり、「俺のことを理解してもらおう」と甘い夢を見ること自体が、内戦の火種をくすぶらせてしまうといえる。
その結末が、家族内殺人や自殺であることは言うまでもない。
時代が、雇用を狭き門にしているならば、自営業を起業し、自分が困らない収入手段になるように努め、親からトイレットペーパーを買ってもらう日々から離脱するほうが、自由で、自分らしい人生を手に入れられる。
「なんとか就職しなさい!」という説教を聞きたくないなら、会社に行かずに自分で金を稼ぐ技術を磨くしかない。
実際、自営業のほうがマイペースで稼げるし、自分の得意分野や趣味、関心事を活かせるし、毎日のスケジュールだって思うがままだ。
それに、何よりも他人と比べて有能である必要がないのが、自営業の最大の魅力だと言えるだろう。
今の自分の能力のままでも、必ず「それより下のレベル」は存在するから、自分の能力に見合うニーズさえ想像できれば、儲けられる余地は腐るほどある。
僕がライターをやっているのも、世の中には「書くのが苦手」「私には書く自信がない」という人がいっぱいいるからだ。
僕にとっては、書く作業なんて朝飯前だ。
だから、ライターという仕事を選んだ。
しかも、他の人と同じ分野だと競争相手が増えてしまって疲れるばかりだから、競争相手の少ない分野で誰も書かないようなネタや主張をすることにしている。
4,5年前から教育雑誌で書きだしたのも、教育分野の雑誌の書き手は現役の教師や大学の先生ばかりで、在野のライターの参加が少ないと思ったからだ。
しかも、学校の外側で生徒たちが何をしているかは、先生や大学教授より、若者取材を長く続けてきた僕のほうが知っている。
だから、現役の先生も舌を巻くようなシーンを描けるし、連載もすぐにとれたし、学校や教職員組合の講演依頼もどっと増えた。
ニートやひきこもりでも、そういう「自分にとって朝飯前」の技術で「競争相手がいない」市場で仕事をすれば、無理なく稼げるだろう。
「自分にとって朝飯前」の技術は、自分にとって当たり前すぎて誰でもできそうなものに見えてしまうから気づきにくいかもしれない。
しかし、「自分より下」のレベルの人には、お金を払っても欲しい「ありがたい技術」に見えるものだ。
たとえば、検索エンジンで1分もかけずにお目当てのサイトを見つけることも、パソコンが苦手な中高年のおっさん達には魔法に見える。
おっさん達がその早い検索技術を知りたければ、相応の金を出すだろう。
携帯で気に入った曲の着メロをダウンロードすることも、機械音痴の主婦や身体障害者には困難だ。
出版界でも「今更人に聞けない○○」といった本がしばしばベストセラーになったりするが、自分と同じようにみんなも出来るはずだと思っていた技術が案外、金になるものなのだ。
つまり、賃金とは技術や能力のない者からある者へ流れ着いた金なのだ。
自営業で大事なのは、その技術をもっとも切実に必要としているのは誰なのかを想像し、そこで「自分にとっては朝飯前」の技術が高く売れることに気づくことだ。
ブログやgaiaxのような登録だけで立ち上がる簡単なホームページを設けることさえ困難な人も意外に多い。
60代以上の年金生活者、障害者、シャバに出てきたばかりの前科者、機械音痴の主婦などを対象に、公民館の部屋を借りて「超初心者のためのホームページ講座」を開き、パソコン購入から起動、ブラウザの基礎、検索エンジンの使い方、ブログの開設、パスワードの設定など、手取り足取り教えてあげたり、プリントを配るなどすれば、まとまった金になるだろうし、生徒個々への自宅訪問相談に対応し、時給をもらえば、1人くらいの生活費はまかなえるだろう。
他にもいろいろ「自分にとっては朝飯前」の技術はあるだろうし、それは他人から見れば魔法に見えるだろうから、周囲の人間に「僕を見ていて『すげー!』と思ったことは何?」と聞きまわれば、「自分にとって朝飯前」の技術とそれで稼げる市場が見えてくる。
そうすれば、ニートもマイペースで自営業で稼げるのだ。
誰に急かされることもなく、稼ぎたいときは稼ぎ、寝たい時は寝られる生活を送りたいのであれば、そうやって自分の技術の価値に気付くことが先決だ。
ネット・ビジネスやゲストハウス自営なども、その一つだ。
だから、僕はニートやひきこもりの社会復帰のために新しい本を書いた。
それが、『親より稼ぐネオニート/「脱・雇用」時代の若者たち』(扶桑社新書)だ。
今月末には発売されるが、ネットでは既に予約注文を受け付けている。
売り切れになる前に、ぜひ下記リンクをクリックし、予約されたい。
http://www.7andy.jp/books/detail?accd=R0244014
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